ワインのお話 -パリスの審判

金澤幸雄です。

今でこそ、アメリカ・カリフォルニアのワインは高い評価を得ていますが、今から50年近く前までは世界的にも全くの無名と言ってもいいものでした。それが、1976年に起きたある出来事によって、それまでの「ワインはフランス」という常識ごとひっくり返されたのです。

後に「パリスの審判」と呼ばれるワイン史に残る大きな事件を紹介します。

アメリカ建国200年にあたる1976年、パリではさまざまな記念イベントが企画されていました。

そんな折、パリでワイン愛好家向けの学校「アカデミー・デュ・ヴァン」を経営していたイギリス人のスティーヴン・スパリュアは、アメリカ人の助手、パトリシア・ギャラガーと共に、フランスワインとカリフォルニアワインとの「対決」を企画します。

当時のパリは、カリフォルニアワインを飲んだことのある人はおろか、アメリカでワインを造っていることを知っている人すら少ない状況でした。そんな中で、スパリュアとギャラガーは、まずフランスのワインが圧勝するという大前提のもと、フランスワインのすばらしさを賞賛した上で、フランス人にカリフォルニアワインの良さを知ってもらおうと目論んだのです。

さて、「フランスワインVS.カリフォルニアワイン」の対決方法はこうです。

まず、フランスとカリフォルニアはそれぞれ自分の国(地域)の赤ワインと白ワインを合計10本選びます。内訳は赤白それぞれ、カリフォルニア6本、フランス4本ずつということになりました。カリフォルニアワインの本数がフランスワインよりも2本多い理由は、このイベントはあくまでカリフォルニアワインの良さをフランス人に広く知ってもらおうとする「プロモーション」であり、いわゆる「ガチンコ対決」ではないためです。

また、ブドウの品種は、赤はカベルネ・ソーヴィニヨン、白はシャルドネと決められました。従って、フランスワインの赤はボルドーのメドック、白はブルゴーニュの一流ワインが揃いました。

フランスとカリフォルニアのワインを審査するメンバーは、AOC(原産地統制呼称)委員会の統括検査員、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの共同経営者、ミシュランと並ぶレストランガイド「ゴ・エ・ミヨ」の販売部長、三ツ星レストラン「ラ・トゥール・ダルジャン」のシェフ・ソムリエなど、錚々たる顔ぶれを9人揃えました。その審査員たちにブラインドテイスティングさせ、一人当たりの持ち点は1銘柄につき20点とし、20点×9人で180点が満点となります。

こうして幕を開けた世紀の「ワイン対決」ですが、企画者であるスパリュアとギャラガーをはじめ、誰もが予想だにしない結末となりました。

金澤幸雄

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